訃報 鷲巣功さん~DJ、ディレクター、プロデューサー

訃報 鷲巣功さん~DJ、ディレクター、プロデューサー
【Isao Washizu Dies At 72】
訃報。
音楽プロデューサー、DJ、音楽評論家などと活躍してきた鷲巣功さんが、2026年9月7日、東京・世田谷区の自宅で大動脈解離のため死去した。72歳。関係先のPヴァイン・レコーズなどが発表した。すでに近親者で葬儀は執り行い、後日、お別れの会が開催される予定。
qr.paps.jp/7zayo
簡単なプロフィールは、上記サイトに掲載されている。
2026年4月頃から、自身レギュラー的に発表していたブログでのDJを休んでおり、すでにその時点でなんらかの体調不良があったようだ。
1954年静岡県出身。1970年代から音楽関係の仕事にはいり、80年代になるとFM東京などでディレクターとして番組制作に携わった。ほぼ同時に音楽ライターとしても活躍。各種音楽誌などで健筆を奮った。また、日本におけるレゲエ・アーティストとして初のランキン・タクシーを発掘、プロデュースするなど音楽プロデューサーとしても活躍した。
特にアーシーな土着的音楽を好み、日本の河内音頭を研究、著作まで出した。
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思い出。
僕が鷲巣さんと初めて会ったのは、1980年代だろうか、FM東京がまだ新宿にあったころだ。その新宿のFM東京で会った。なんで、僕がそこに行ったのかはまったく記憶にない。なにか頼まれてそこに呼び出されたのか、あるいは、なにかで僕がそこに行き、偶然知り合ったのか、もうよくわからない。
ただ、やたらノリのいい音楽ディレクターで、洋楽物、しかも黒っぽい系が好きということがすぐにわかったので、たぶん、意気投合したんだろう。別に仕事をするしないということもなく、どこかのライヴ会場で会うと、そのままお茶を飲んだりしたんだろうと思う。
1996年、通販会社がモータウンのボックスセットを作るというので、アルバムの選曲やそのボックスセットにはいる立派なブックレット原稿執筆を頼まれた。かなり大きなボックスでCD10枚組だった。これも鷲巣さんの力作だろう。
その後2013年4月、インターFMの編成をピーター・バラカンさんがするようになり、ピーターさんに誘われ僕も『ソウル・サーチン・レイディオ』という番組を持たせてもらうことになった。これは2013年4月から毎週火曜の夜8時から10時までの生放送で、その後時間帯などがかわり80回弱続いた。
で、その頃、鷲巣さんも月~金の帯で夜中の3時から5時まで『オーサム・ビーツ/モーニン・ブルーズ』生放送を担当することになった。そこで、火曜の夜は、僕の番組が終わるころ、彼が忽然と現れ、あーだこーだと与太話をするようになった。
そんな一回。
「ソウル・サーチン・レイディオ」3回~ロイ・ハミルトンとエルヴィス
2013年04月18日(木)
「ソウル・サーチン・レイディオ」第10回~マーヴィン・ジュニア・トリビュート~アトランティッ
2013年06月05日(水)
ところがその番組もわずか1年で、2014年3月29日に最終回を迎えてしまう。
そこで僕はその最終回、不夜城インターFMに乱入―したほどだ。そのときの様子。
その後、鷲巣さんとは今なき新宿のストーンや西麻布の新世界で「ピンポンDJ」をやったりした。
ピンポンDJ同録音源期間限定で公開
2014年06月14日(土)
その後、鷲巣さんがインターネット・マガジン『エリス』でキング・カーティスについての長文の記事を書いたのが、印象的だった。
年3回刊『エリス』マガジンで鷲巣功さんが、キング・カーティスが歌謡曲を吹いた幻のアルバムについて書く
2021年7月17日
そして、2022年4月、彼と澤田さんが中央区のコミュニティFMで『オーサム・ビーツ』と『モーニン・ブルーズ』をやるというので、ゲストで呼ばれ、『ソウル・サーチン・レイディオ』の復活ということが実現した。
これは朝まで盛り上がったのだが、それ以後に目黒でお茶をした記憶があるのだが、あれはなにかの映画の試写のあとだったりするのだろうか。もし目黒だとすると、2014年頃だから、中央FMよりずいぶん前になる。
いずれにせよ、あの快活で癖のあるトークがもう聴けないというのはちょっと信じられない。
ゆっくりお休みください。そして、天国でDJを続けてください。
OBITUARY>ISAO, WASHIZU ( 1954 – SEPTEMBER 7, 2026, 72 YEAR OLD)
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